kushami

kushami project
http://kushami-project.com/
有名なアメコミ映画のヒロインがこんなことを言っていた。
「人の本性は言葉でなく行動によって表れる」
くしゃみするみたいに突然クシュン、と、豪快に、爽快に。
気持ち良いことを素直にやる。みんなの楽しい人生をもっと楽しくしたい。
良いものを良いと、好きな人に好きだと、かっこいいものをかっこいいと伝える。

2010/06/29

名古屋

配属先が決まってね、名古屋に。
(配属は10月から。それまでは都内にいる予定)


地方に飛ぶことは覚悟していたのだけれど、
やっぱり現実になると落ち込む。

実際に配属発表されてその翌日の正午には名古屋到着。職場訪問。

名古屋はとても良い街なのだけれども、まだその空気を吸うことには
慣れない。慣れたくないのかもしれない。


もちろんキャリアプランを考えると、一度は地方で修行すべきなんだと思う。
だから今回はとても他の同期には絶対に得られない経験をしようと誓う。

だけど、名古屋に骨を埋める気はさらさらない。I LOVE 東京.

配属先の部署の先輩は「マンション買ったから名古屋永住だよー」とか
なんとか言っていたけれど、ぼくは高田馬場か渋谷あたりのマンションを
買う予定なのでそれは遠慮しときます。



先週の土日におばあちゃんに会って、自分はおばあちゃん子なんだな
と改めて感じました。

おばあちゃんはもうボケてずーっと入院生活なんだけれど、お見舞いに行くと毎回
自分が「高校を卒業したこと」「早稲田に入学したこと」「成人を迎えたこと」
「社会人になったこと」を聞いては、
「大きくなったねえ。すごいねえ」と喜んでくれます。

ちょっぴり寂しい気持ちですが、毎回喜んでくれることは素直に嬉しいんです。

先週、名古屋に行くことを伝えたときも「すごいねえ」と言って喜んでくれました。


お見舞いしてる間はずっと僕の手を握ってくれます。もうそんなに力が入らなくなった
しわくちゃの手のひらから僕はとてつもなく大きなパワーをもらいます。

これで名古屋で戦えそうです。


といっても東京も鶴ヶ島も恋しいので、月二回は帰ってくる予定ですがね。

2010/06/15

Java

Javaで苦戦している。
講義は自問自答の連続。


「寝ていいのか。寝ちゃいけないのか。」


答えはもちろん「寝てはいけない」のだ。
でもね、まぶたがオートマチックに閉じようとしている。それを必死に抑える。
その繰り返し。

Javaってプログラムの開発のほかに眠気誘発作用もある。すごいね、Java。


とても悔しい。悔しさしかない。
わかったと思ってもまたすぐにわからなくなる。

Javaって人の気持ちのよう。
いまはなにがなんだかわからない。


でもね、こんな悔しいまんま終わりたくないので。将来役に立つ可能性は低くてもね。
僕はやります。やるしかないんです。

今、自分がやるべきことは、目の前にあるものをひとつひとつ丁寧に組み立てること。

将来の夢を語ってるだけではいけない。
将来を見据えてるばっかりで、現在を見落としてる人が周りに大勢いる。
し、自分もそうなりかけてるようでたまに怖くなる。ビクビク

目の前にある問題に真摯に向き合い、取り組む。
今はJava。とにかくJavaりまくろう。

『散策・のんべえ横丁』@ Shibuya

2010/06/07

リズム

本日からアルゴリズム。グッドリズム。


アルゴリズムはすごく面白い。講義を受けてるとアドレナリンが発散している。
少しは元理数科の血が流れていること、それが今週生き抜く唯一の希望の光。
講義がそろそろ本格的になってきた。これぞ求めていた世界。

でもめんどくさい。矛盾してるのは承知。


ビークルが解散するらしいね。そんなに好きじゃなかったけど、
この曲は印象に残って耳から離れませんでした。




あとは最近のバンドでお気に入りなのが神聖かまってちゃん。
大好き!ではないけどたまにはこういうの聞くのもいいと思います。
高田馬場のTSUTAYAでゴリ押しされてます。



すごく印象に残りません?

自分も印象に残る人間になりたい。
頑張って尖がろう。めざせ、とんがりコーン人間。

2010/06/03

考える。日曜日。

およそ普通の感性のまま見たとしても、何も伝わらないかもしれない。

芸術には「説明文」というものが必須な時代になってきたように思える。
そんな風潮を揶揄する人もいる(実際自分も半分そう思う)。

しかし、それは逆に言えば、どんどん芸術に「意味」を持たせることが増えてきて
いる証拠なんだと思う。
説明文を読んで、それと自分が感じた感動とどこが同じでどこが違うかを
確認することができるし。そしてそこから自分の感性もみえてくる。
だからぼくはこの「説明文」な風潮を受け入れていきたい。



フセイン・チャラヤン展に行った。
とてもとても考えさせられる作品ばかりで。

そう。「考える」というのに最近興味がわいててね。
最近、「考える」という行為は本当に重要なことなんだと改めて思うようになった。

ぼくのまわりにいるみんなは本当に考えることができる人たちばっかりで、
自分は驚くと同時にちょっぴり負い目を感じてしまいます。
まだまだ自分はみんなのようにスマートに相手のことを思える行為をすることが
できない。ショック。

だからもっともっとみんなからそういう部分を盗んで自分のものにしていきたい。

もっと友達を増やせと言われて若干(というかだいぶ)落ちたけれども、
僕は今いる大切なみんなを大切にしていくことくらいしかできない。


日曜日。
代官山へ行った。そのまま中目黒へ。
カフェで笑顔で会話をする人。ショッピングを楽しむカップル。散歩しすぎて電柱の下で
疲弊している犬。
どこを見てもすべてが「日曜日」の光景。あーSUNDAY。

日曜日の過ごし方をもう少し検討しないといけない。
できるならば疲弊する犬ではなくて、カフェでゆっくり読書を楽しむ人になりたい。



考える。日曜日。
の話。