kushami

kushami project
http://kushami-project.com/
有名なアメコミ映画のヒロインがこんなことを言っていた。
「人の本性は言葉でなく行動によって表れる」
くしゃみするみたいに突然クシュン、と、豪快に、爽快に。
気持ち良いことを素直にやる。みんなの楽しい人生をもっと楽しくしたい。
良いものを良いと、好きな人に好きだと、かっこいいものをかっこいいと伝える。

2009/07/31

経済危機

昨年の秋に起こった経済危機によって
世界は様変わりした

でもみんなが「ヤバイ、ヤバイ」と言ってるほど
そんなにヤバイ雰囲気はない


日本ってフケイキだ、フキョウだって言ってるけど
世界の他の国に比べたらすごく幸せな生活を送れてる気がする

昨日も伊勢丹に行ったんだけど、みんなこれでもかってくらい服買ってた。
それみたら気持ち悪くなっちゃった。おまえらどんだけオシャレ頑張ってんだ。努力してるわりには結果は出てないよと言いたくなった


世界大恐慌のときはどんな感じだったんだろう
みんな死活問題だったって言ってるけど本当かな?


昭和の終わりに生まれた僕らは、戦争や大恐慌、学生運動のような刺激が無いまま大人になろうとしている。
戦争が起きてほしいって言ってるわけじゃないけど、僕らの価値観をひっくり返すくらいの出来事が起きないかなって期待している。

まーそんなないか。自分たちでつくっていかなきゃな。
俺が世界をビックリさせてやろう

2009/07/29

Google

いまや、俺の周りには“Google”がたくさん存在している。


朝起きてパソコンを開き、新着メールが無いかGmailを確認する。

外出する際には、携帯電話のGoogleモバイルマップを使い、出発地からの経路、到着地周辺の景色をストリートビューで確認する。

学校に行き、授業で勉強した内容を詳しく調べるためにWeb検索を行い、レポートをGoogleドキュメントで編集・保存する。

暇な時間があればYouTubeを観て面白いビデオを発見する。

友人と一緒に撮った写真を整理し、友人たちと共有するためにPicasaを使う。


Googleがなくなったとしても、生活ができなくなるわけではないが大きな支障をきたすことは間違いない。

しかし、今後もGoogleが私たちの生活にどんどん深く入り込んでくるのは確実だ。



ここからが本題なのだが、Googleのサービスを便利に利用している反面、その存在が怖くなるときがある。

Googleは俺の脳が認識している量よりも、俺自身に関する情報を知っている。

もしGoogleが急に倒産し、俺に関する多くの情報が消えてしまったら、俺自身の一部も無くなってしまうような状態になる。

俺だけではなく、Googleを利用している人も同じ立場にいることを決して忘れてはならない。



また俺たちは、情報の収集の第一歩を「検索」に頼りすぎている傾向がある。

探したい情報に関連するキーワードを検索ボックスに入力し、検索ボタンをクリックするだけで情報を入手することができる。

ここに不安を感じるのだ。つまり、情報を入手する方法が短絡的なのである。

情報を入手し利用するためには、自分自身で本屋に行き、数ある本の中から自分で探す。実際に人に話を聞くことで情報を得るという方法もある。

そういう「手間」をかけることが少なくなった気がする。その「手間」をかけることが人間を成長させる糧なのではないかと思う。

検索ばっかりして「頭でっかち」になってしまうという恐怖感を、常に意識しておかなければならない。人間的に成長するためには、実生活での「経験」も同時に得る必要がある。


これからもGoogleは大量の情報を飲み込み、巨大になっていく。そして俺たちは今以上にGoogleに接する機会が増えていくだろう。

よりGoogleのサービスは俺たちの生活に密着し、俺たちの情報インフラはGoogleによって支えられる。


Googleが無くては生きていけない。そんな未来はすぐそこまで近づいてきている。

Kimochi

自分の中にある思いを吐き出す


何か考えているようで何も考えていない

悩んでいるようでそれほど悩んでもいない



そんなKimochiを伝えたい



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